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なぜマレーシアは「イスラム教」が多いのか?その歴史と影響

マレーシアとイスラム教:その歴史と影響 マレーシア
この記事は約9分で読めます。

こんにちは。ノマド家族のぱぱぞん(@nomadkazoku)です。

2023年4月から、約1年半ほどクアラルンプールで暮らしています。

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マレーシアにはイスラム教徒が多いことは知識としては認識していました。

しかし、実際にマレーシアに住んでみて、”女性が髪や肌を隠す”という見た目から宗教がわかるおかげ(?)で、マレーシアにイスラム教が浸透していることをより実感することができました。

そんなある日、ふと私の心湧いた疑問、「イギリスの植民地支配の時代、マレーシア人はキリスト教への改宗をせまられなかったのかな?」

早速、ChatGPTと共に地の探索へと出かけることにしました。

この記事では「マレーシアの歴史とイスラム教との関係」について掘り下げてみます。

マレーシアのイスラム教の歴史を知っていましたか?

以下の表は、東南アジア各国の人口が多い順宗教の割合を表にまとめたものです。

国名人口仏教キリストイスラムヒンドゥーその他
インドネシア2億7,500万人0.7%9.9%87.2%1.7%0.5%
フィリピン1億1,700万人86.0%5.6%6.5%
ベトナム9,800万人73.2%7.0%1.4%0.1%12.1%
タイ7,100万人94.5%4.3%1.2%
ミャンマー5,500万人80.1%8.6%4.3%0.5%6.5%
マレーシア3,300万人19.8%9.2%61.3%6.3%2.1%
スリランカ2,100万人69.3%6.1%7.4%7.4%10.1%
カンボジア1,600万人95.0%0.5%1.2%2.3%
ラオス750万人66.0%1.5%0.5%0.1%31.9%
ブータン79万人74.7%0.4%22.6%2.3%
出典:[1] Wikipedia – 宗教人口の一覧、[2] Holidify – 東南アジアの宗教

マレーシアの最大の特徴は、イスラムだけでなく、仏教、キリスト教、ヒンドゥー教など多様な宗教が混在している点。

多様性のある文化は、その人種だけでなく宗教にも関連しているようです。
ではなぜマレーシアは、なぜこのような多様性のある国になったのでしょうか?

基礎から改めて学び直ししてみましょう!

マレーシアの概要

マレーシアは、一部がアジア本土の半島に、一部がボルネオ島に位置する東南アジアの国。この地理的な分断も多様な人種を抱える一つの要因です。

マレーシアは、マレー人中国人インド人、そして多くの先住民族が存在します。

その多様な人種の中で、イスラム教はこの国に深い影響を与え、その文化、伝統、さらには憲法までを形成しています。

マレーシアとイスラム教の歴史

マレーシアとイスラム教が交わるポイントをまとめて表にしてみました。

年代キーワードカテゴリー概要
12世紀イスラム教宗教アラブとインドの商人を通じて
マレー諸島にもたらされる
15世紀マラッカ王国歴史的王国イスラム教を採用した最初のマレー王国
15世紀シャリア法法制度マレー諸王国で採用され
文化や社会の規範に大きな影響を与えた
1824年英蘭協約植民地化マレーシア・シンガポール(英国)と
インドネシア(オランダ)を分割して統治する協約
1957年マレーシア憲法法的文書マレーシアの独立に際し
イスラム教を公式宗教と宣言

全体の流れを押さえた上で、一つずつ深掘りしていきましょう。

イスラム教のマレーシア到来

何世紀も前、世界各地から商人たちは海を渡り、商品、アイデア、信念を運びました。

その中にはイスラム教も含まれており、12世紀頃に中東とインドからの貿易に乗って、マレー諸島の岸辺に到達しました。

アラブ人インド人の商人たちは、マレー諸島にイスラム教を紹介する上で重要な役割を果たしました。彼らは地元のコミュニティと交流し、有力な家族に婚姻し、徐々にイスラム教を地元の習慣と伝統に組み込んでいきました。

マレー王国によるイスラム教の採用

イスラム教を採用した最初のマレー王国の一つは、15世紀のマラッカ王国でした。

スパイス貿易ルートに沿った戦略的な位置にあったこの地は、世界中の商人が出会い、交流し、アイデアを交換する繁栄する港でした。マラッカの王族によるイスラム教の採用は、この地域での宗教の影響力が増していることを示していました。

イスラム教のスルタン国が設立されると、イスラム教の原則が地域の統治と法の布石を浸透し始めました。これらのスルタン国はシャリーア法を採用し、地域の文化的および社会的規範に大きな影響を与える構造を提供しました。

スルタン国シャーリア法

スルタンはアラビア語で「権威」を意味し、後に君主号として用いられるようになりました。つまり“スルタン国”は、君主が統治する国を意味します。

シャーリアはアラビア語で「道」を意味し、コーラン(イスラム教聖典)とスンナ(預言者ムハンマドの言行録)に基づき、イスラム教徒が守るべき道徳的、宗教的、社会的な規範を指します。つまり“シャーリア法”は、イスラム教の道徳的な規範をベースにした法律です。

マレーシアのイギリス植民地時代の宗教の自由

マレーシアは1824年の英蘭協約から独立まで約130年に渡ってイギリス植民地下にありましたが、キリスト教への強制改宗はありませんでした。

イギリス帝国の主要な目的は、宗教的な改宗を強制するのではなく、経済的および政治的な目的のために地域を統治し、利用することでした。イギリスの統治下では、宗教の自由は一般的に尊重され、個々の人々が強制されることなく自分の信仰を実践することが許されました。

とは言え、この時期にキリスト教が一部の地域で広まりましたが、主に自発的な改宗キリスト教宣教師の努力の結果であり、イギリス当局によって強制された改宗の結果ではありませんでした。

現代マレーシア社会におけるイスラム教の役割

マレーシアが1957年に独立を達成したとき、憲法はイスラム教を公式の宗教と宣言し、その歴史的・社会的な重要性を反映しました。

これは、国王が連邦内のイスラム教の最高権威者であるという、国を治めることと、宗教の原則をうまく組み合わせたものです。

マレーシアにおけるイスラム教教育

マレーシアでは、イスラム教は宗教だけでなく、若い世代の心を形成する教育の重要な部分でもあります。公立学校ではカリキュラムにイスラム教の研究が組み込まれており、私立のイスラム教学校ではより深い宗教教育が提供されています。

イスラムにおけるハラールの理解

アラビア語で「合法的な」または「許された」を意味するハラールは、ムスリムの誰もが日常生活で目にする言葉であるが、その真意は何であろうか。

ハラールの原則

ハラールの原則はコーランとハディースに根ざしており、ムスリムの生活の様々な側面を導いています。

ハラルが適用される分野

食品:豚肉やアルコールの接種を禁じる
衣服:控えめで倫理的なファッションを心がける
金融:銀行業務と投資を扱う

ハラールの重要性

ハラールの遵守は単なる個人的な選択ではなく、日常生活で常に実践する必要があります。

精神的意義:ハラールに従うことは、アッラーへの信仰と結びつきを強める。
社会的・共同体的側面:イスラム共同体内の団結と倫理的な生活を促進する。

ハラールについてのよくある誤解

宗教に馴染みのない日本人にとって、ハラールには多くの誤解があり、混乱を招くことも多いです。

✕ 肉全般を食べてはいけない
◯ 豚と犬は禁止、鳥や牛はシャリア法に則った正しい食肉処理されたもののみ食べられる

✕ 豚でも肉さえ食べなければOK
◯ 豚から派生した食品全般(血液→ソーセージ、皮→ゼラチン、脂肪→ラード、その他、骨や毛をつかた製品の使用も禁止されています)

✕ 女性は髪の毛だけを隠せばOK
◯ 髪の毛だけでなく肌の露出も厳禁です。
  イスラム系の寺院を訪れる際は長袖で長ズボンを着用を求められます。

芸術と文化への影響

建築の驚異から魅力的な音楽のリズムまで、イスラム教の影響はマレーシアの芸術と文化で見ることができ、感じることができます。「ディキール・バラット、そしてモスクの複雑なデザインはすべて、イスラム教の持続的な影響を証明しています。

マレーシアの有名なイスラム教の音楽

伝統的なマレー音楽「ディキール・バラット(Dikir Barat)」は、グループで一緒に歌うことが特徴の音楽形態です。起源は不明ですが、マレーシアとタイの両方に存在し、マレーシア国立文化芸術局は、それをマレーシアの国民文化の重要な一部として積極的に促進しています。

マレーシアの有名なイスラム教のランドマーク

スルタン・サラフディン・アブドゥル・アジズ・モスク

The Sultan Salahuddin Abdul Aziz Mosque

壮大なスルタン・サラフディン・アブドゥル・アジズ・モスクを訪れることなくして、マレーシアを訪問したとは言い切れません。この建築的な驚異、別名ブルーモスクは、その壮大な青いドームで知られ、東南アジアで最大級のモスクの一つです。

イスラム芸術博物館マレーシア

Islamic Arts Museum Malaysia

イスラム芸術博物館マレーシアは、マレーシアの豊かなイスラム芸術遺産の優れた保管庫として機能しています。その広大なイスラム美術品のコレクションは、クラーンの写本、陶器、テキスタイル、宝石まで含まれており、イスラム世界への魅力を垣間見ることができます。

結論 マレーシア×イスラム教の歴史は多様性の歴史でもある

この記事では「マレーシアの歴史とイスラム教との関係」について掘り下げてみました。

マレーシアのイスラム教の歴史は、文化交流、平和的な改宗、持続的な影響の魅力的な物語です。それは今も継続的に続くストーリーの一部であり、マレーシアという国の多様性を保つ上で大きな影響を与えています。

この国の魅力は、すべてにおいて寛容であること!

私のマレーシアでの生活を通じて、その魅力を少しずつ吸収していきたいと思います。

ではまた!

Quiz あなたの知識をテストしましょう!

マレーシアのイスラム教の歴史を通じた旅を終えた今、楽しいクイズで学んだことをテストしましょう!

Q1: マレーシアを構成する2つの地域とは何ですか?

A: マレー半島東マレーシア(ボルネオ島)

Q2: マレーシアにイスラム教を紹介したのは誰ですか?

A: アラブ人インド人の商人

Q3: イスラム教を採用した最初のマレー王国は何ですか?

A: マラッカ王国

Q4: イスラム教はマレーのスルタン国の統治にどのような影響を与えましたか?

A: シャリーア法によるイスラム教の道徳を規範とした法律の制定

Q5: 憲法によると、マレーシアの国教は何ですか?

A: イスラム教

Q6: イスラム教が現代のマレーシア社会に影響を与える一つの方法を挙げてください。

A: 教育、国教、芸術、文化など

Q7: マレーシアの有名なイスラム教のランドマークを一つ挙げてください。

A: スルタン・サラフディン・アブドゥル・アジズ・モスクイスラム芸術博物館マレーシアなど

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